ABOUT

マホロバ工房は、陶芸作家青木栄二の富山市にある陶工房です。
20年以上、機械設計という仕事で「イメージをカタチにする」経験を積んできました。これからは陶芸を通して、自分の想いや感覚をカタチにしていきます。

  青木栄二 略歴

1979年、富山生まれ富山育ち。2002年に富山高専専攻科を卒業し、同年地元の企業に就職。

機械設計に従事していたが、45歳のときに「このまま会社員でいた場合、自分には何が残るのだろう?」と今後の人生に疑問を感じ、2025年に思い切って23年勤めていた会社を退職。

昔からものを作るのが好きで、そういった仕事をしたいと考えていたところ、家系図の調査を通じて、自身の祖先が富山県立山町・上末地区で江戸時代より代々陶工として活動し、屋根瓦製造を経て廃業していたことを知り、「これだ!」と思い、陶芸の世界へ。
長年、機械設計士として培った「カタチにする技術」を活かし、陶芸で自分の世界観を表現していきます。


-立山町・上末地区について-
富山県の立山町上末は、平安時代初期ごろから須恵器(硬く焼き締まった土器)の生産地とし栄えました。この地は良質な陶土と豊富な薪資源に恵まれ、日本でも有数の古窯地として発展しました。

安土桃山時代の1590年代、加賀藩主・前田利長は尾張国瀬戸から陶工を招き、上末に窯を築かせました。

これが「越中瀬戸焼」の始まりとされています。

江戸時代、上末の瀬戸村では20基以上の登窯が築かれ、村民の多くが半農半陶の生活を送り、多彩な釉薬を用いた日用品や茶道具が生産され、越中を代表する窯場として栄えました。
しかし、明治時代に入ると、全国的な磁器の普及により陶器の需要が減少し、多くの窯元が屋根瓦製造へと転業しました。これにより、越中瀬戸焼の生産は衰退していきました。

今は立山町を中心に5窯元、数人の作家が今を継ぐ新たな越中瀬戸焼を目指して作陶しています。